「宿坊」と「先導師」
現在はランチ営業のみの、大山とうふ料理店「和仲荘」ですが、(平成元年より)昔は「宿坊」でした。
「宿坊」は、阿夫利神社や大山寺への参拝者が宿泊するための施設です。
「先導師」は、参拝者に宿坊を提供し、寺社への道案内をしていました。
宿坊の中には現在でも神殿を持つ家が多くあり、宿泊者は前日に泊まり、当日の朝にお祓いを受けてから大山へ登り参拝する習わしです。
和仲荘では代々「和田仲太夫」という名を襲名して先導師活動を行っておりました。
参道には、土産店や食堂の他に、石柱で囲まれた古風な食事処や宿が見られます。
この石柱で囲まれた家屋の多くが昔は「宿坊」でした。
石柱は「玉垣」と呼ばれるもので、彫られている文字は玉垣を寄進した「講」と呼ばれるグループの人達の名前です。
これらの寄進は、信仰の対象への貢献と同時に、自分たちの活動の記念碑として建てる意味合いもありました。
「講」は町などの地域的な繋がりや、同じ職業での繋がりなどで構成されるグループです。
講に所属する人達で会費を出し合い、その中の代表者数名が大山に参詣し、講の構成員に御札や土産を持ち帰る。これを1年に1度などの頻度で繰り返すと、講の大勢が参詣することができ、参詣できない人もご利益のある御札を受け取ることができます。
現代よりも庶民が旅をすることが難しかった時代に、庶民が旅に出る楽しみを共有し、講の中で人と人との繋がりを深めていったのです。